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歌川芳宗 (2代目)[にだいめ うたがわ よしむね] 二代目 歌川芳宗(にだいめ うたがわ よしむね、文久3年2月5日〈1863年3月23日〉 - 昭和16年〈1941年〉)とは、明治時代の浮世絵師。 == 来歴 == 月岡芳年の門人、初代歌川芳宗の末子。姓は新井、俗称周次郎。初名を年雪といい、一松斎、松斎と号す。文久3年2月5日に生まれる。明治8年(1875年)、月岡芳年の門人となり年雪と称し、明治10年(1877年)には西南戦争の錦絵を製作する。明治13年(1880年)に初代芳宗が死去すると、翌明治14年(1881年)11月1日に二代目芳宗を襲名した。上野山王寺で行われたこの襲名会には芳年のほか、松本芳延、落合芳幾らが参加している。また、明治15年(1882年)9月刊行の『絵入り自由新聞』に芳年とともに入社しており、主に新聞や雑誌の挿絵などを多く描いた。同じく明治15年行の『人肉質入裁判』(シェークスピア原作、井上勤訳)の小説の挿絵を描いたり、『改進新聞』の明治19年(1886年)11月16日号において「ノルマントン号遭難」の挿絵を手がける。明治26年(1893年)から一時期、画博堂という店を営業している。この店は後に同門の松井栄吉に譲った。ほかに代表作として「撰雪六々談」や「海女の図」などがあげられる。芝増上寺内に住んでいたが、明治10年から明治15年のころ京橋区南金六町三番地に移り住んでいる。昭和16年死去、享年79。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「歌川芳宗 (2代目)」の詳細全文を読む
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